ハリルホジッチが解任され新たに西野朗さんが日本男子サッカー代表監督に就任しました。ワールドカップ、ヨーロッパ主要リーグでの日本人選手の活躍も目立ってきた今、日本におけるサッカーの歴史についてひも解いてみました。日本のサッカーは組織的で細かい足技を必要とするポゼッションサッカーが得意とされているが、そのルーツは蹴鞠(けまり)にありました。

もくじ

  • 相手への思いやり&華麗さを競った日本サッカーの歴史
  • 世界一のヨーロッパサッカーでさえも「蹴鞠」が起源?!
  • 「源氏物語」「枕草子」にも登場。平安時代にサッカーブーム到来!
  • 清水の舞台でリフティング!?叱られちゃった平安時代の名手
  • 日本サッカーに受け継がれるポゼッションは蹴鞠のDNA?!
  • 鞠の神様・スポーツの守護神を祭る神社「白峯神宮」
  • 京都白峯神宮のご近所グルメ&観光スポット
  • サッカーに興味を持ったら、ルールを覚えて応援・観戦に行ってみよう♪

相手への思いやり&華麗さを競った日本サッカーの歴史

現代サッカーの起源は19世紀のイングランドだといわれています。しかしボールを蹴る競技は太古の昔から世界各地で行われていました。古代エジプトや古代ギリシャ、古代ローマの遺跡にもボールを蹴る人々のレリーフなどが残っていますが、実は日本にも、1300年にも及ぶ長い蹴球の歴史がありました。

蹴鞠(けまり)がその日本で古くから行われてきた日本のサッカーです。しかし蹴鞠はサッカーのように勝ち負けを競うものではありませんでした。8人か6人で円陣を組み、皆で鹿革製の鞠を蹴り、どれだけ華麗に地面に落とさずパスし続けるかを競います。そして一番大切なのが、相手が受け取りやすい上手なパスを送ること。これが『蹴鞠道』とされています。和を貴ぶ日本らしい競技ですね。

世界一のヨーロッパサッカーでさえも「蹴鞠」が起源?!

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蹴鞠は紀元前300年以上前、現在の中国が斉や漢と呼ばれていた時代に、既に蹴鞠(しゅうきく)と呼ばれて行われていました。漢の時代には12人のチーム制になり、鞠を争奪しあって相手ゴールにシュート、その数を競ったといわれているので、もしかすると今のサッカーにかなり近いものだったのかもしれません。7~13世紀頃の唐や宋の時代になると蹴鞠は益々盛んになり、その頃モンゴルや東欧を経てヨーロッパまで伝わり、近代サッカーへと発展したといわれています。しかし中国では14~20世紀の明や清の時代、あまりに皆が蹴鞠に熱中しすぎ、貴族や官僚まで仕事をサボるようになったために『蹴鞠禁止令』が出され、その後途絶えてしまいました。

仏教とともに伝来。サッカー(蹴鞠)が日本の歴史の大切なポイントに

日本の蹴鞠は7世紀頃、今の中国が隋や唐と呼ばれていた時代に仏教などとともに伝わりました。645年に起きた『大化の改新』でライバルの蘇我入鹿を倒した中大兄皇子と中臣鎌足の出会いも、飛鳥寺で行われた蹴鞠がきっかけだったといわれています。飛鳥寺で催された蹴鞠のプレー中に中大兄皇子の靴が脱げ、それを中臣鎌足が拾って渡したのが歴史を動かす運命の出会いとなりました。

「源氏物語」「枕草子」にも登場。平安時代にサッカーブーム到来!

日本の蹴鞠はその後独自の発展を遂げ、平安時代には宮廷競技として大ブームになりました。紫式部の長編小説『源氏物語』や清少納言のエッセイ『枕草子』にも登場するほどです。

なでしこサッカー女子のルーツは鎌倉時代?!

やがて鎌倉時代になると武家の間でも、和歌や書、舞や笛などのように、武士のたしなみのひとつとして蹴鞠が行われるようになりました。数々の流派が出来、その流派を継承する宗家も生まれ、後白河法皇や後鳥羽上皇をはじめとする数多くの名プレーヤーも出現しました。鎌倉時代の源頼家や実朝、室町時代の足利義満や義政、戦国時代の織田信長や豊臣秀吉も蹴鞠の名手だったと言われています。もし戦国時代にサッカーワールドカップがあったら、織田信長や豊臣秀吉、そして蹴鞠に熱中しすぎて今川家を滅ぼしたといわれる今川家10代当主・今川氏真も、きっとメンバー入りしたことでしょう。また女房や女官たちが蹴鞠を行っている版画や草子も残されていることから、男子だけでなく女子も蹴鞠に熱中したようです。なでしこジャパンも実はとても古い歴史があったのですね。

蹴鞠は江戸時代になると広く一般庶民にも流行しましたが、明治になると一時途絶えてしまいました。しかしご自身もご蹴鞠を愛好された明治天皇の勅命により、明治38年、蹴鞠は公卿宗家の飛鳥井家や蹴鞠保存会に受け継がれ、今も大切にその伝統と文化が守られています。

清水の舞台でリフティング!?叱られちゃった平安時代の名手

このように1300年以上の歴史を誇る日本の蹴鞠ですが、その中でも一番の蹴鞠の名手と言えば、“蹴聖(しゅうせい)”と呼ばれた平安時代末期の公卿、大納言藤原成道でしょう。成道は順徳天皇の『禁秘抄』の中でも「末代の人の信じがたいほどの技芸」と書き記され、清水の舞台の欄干の上を鞠を蹴りながら何度も往復した、とか、従者たちを並ばせてその頭や肩の上でリフティングをしたが従者たちは誰も気付かなかった、など、信じがたいエピソードが数多く残っています。しかし清水の舞台の欄干の上でのリフティングには、父上の藤原宗通も「そんなことをするものがいるか!」と激怒、成道を1ヶ月ほど家に入れなかったとか。

その成道には「千日の間、休むことなく鞠を蹴り続ける」という願をかけて見事に成就、その満願の日には3匹の猿のような姿をした鞠の精が現れた、という話まで残っています。

その3匹の鞠の精たちは成道に「人々が蹴鞠を愛好している時代は、国も栄え、良い人が政治を行い、福があり、寿命は長く、病もなく、来世にもよい影響を与えますよ」と語ったといわれています。それに対して成道は「来世にまで良い影響があるなんて、ちょっと大げさじゃない?」と言ったそうですが、鞠の精達は、「鞠を蹴っていると無我の境地になり、功徳を積むことができるので、来世の幸せも約束されるのです」と答えたそうです。そしてさらに、「私達の名を呼んで下されば、守護神となって蹴鞠の道をさらに高めて差し上げましょう」と言いました。このことによってこの鞠の精たちの名前、夏安林(アリ)・春陽花(ヤウ)・桃園(オウ)が鞠を蹴るときの掛け声になり、成道は鞠の神様・精大明神をお祀りする祠を建て、大切に守りました。

日本サッカーに受け継がれるポゼッションは蹴鞠のDNA?!

現在の日本のサッカーはポゼッションサッカー、つまりショートパスをつないで攻める戦略が得意だと言われています。そして細かい技術は世界トップレベルだとも言われています。こうして蹴鞠について調べていくと、そのような細かなスキルに秀でている日本サッカーのDNAは、もしかすると蹴鞠から受け継がれているのかもしれない、という気がしてきます。

あの中田英寿さんも京都の下鴨神社で必勝祈願

そういえば2014年のサッカーワールドカップ・ブラジル大会の際、京都の下賀茂神社で元日本代表の中田英寿さんが、サムライブルーの鞠水干に鞠袴という伝統的な蹴鞠装束で、日本サッカーチームの必勝祈願を行ったことがありました。下賀茂神社は世界遺産にも登録されている大変由緒ある神社で、蹴鞠も伝承しています。また日本サッカー協会のシンボルにもなっている八咫烏は、この下賀茂神社のご祭神・賀茂建角身命の化身です。中田英寿さんは下賀茂神社で必勝祈願を行った後、授与された鞠と神棚とお守りをブラジルに持参し、日本サッカーチームを応援しました。でも下賀茂神社で行われた蹴鞠保存会による奉納蹴鞠の競技への特別参加は、「神事に私のような素人が参加してはいけない」と見学しました。中田さんの蹴鞠のプレーを見たかった、というファンも多かったようですが、日本のサッカーを大切に想い日本文化への造詣も深い中田英寿さんらしい行いだったと思います。

その中田さんの全盛時代のプレーは、まるでボールが足に吸い寄せられるかのようで、パスも大変高い精度を誇っていました。きっと蹴鞠もかなりの腕前だと思います。実は中田さんは中学生の頃から、正確なパスを思ったところに蹴るため、足の親指、人差し指、中指、薬指、小指、それぞれの指でボールを蹴る練習をしていたというから驚きです。

実は中田さんの出身地は山梨県韮崎市。戦国時代のレジェンド・武田信玄で有名な武家の名門・武田家発祥の地です。新羅三郎義光(源義光)の血を引く曾孫の信義が、韮崎市にある武田八幡宮の社前で元服し、武田氏を名乗ったのが始まりだといわれています。もしかすると中田さんのご先祖様も武田武士で、蹴鞠の名手だったのでは?などと想像がひろがります。

鞠の神様・スポーツの守護神を祭る神社「白峯神宮」

ところで平安時代に“蹴聖“藤原成道がお祀りした鞠の神様・精大明神は、今も京都市の「白峯神宮」で大切にお祀りされています。そして毎年4月の「春季例大祭」と7月の「精大明神例祭」には、天下泰平・国家安泰・五穀豊穣を祈って、白峯神宮で蹴鞠保存会による蹴鞠が奉納されています。

サッカーに限らず、野球・バレーボール・バスケットボール選手も必勝祈願へ

この白峯神宮のある場所には、江戸時代まで蹴鞠や和歌の師範や家元を務める公卿宗家・飛鳥井家の邸宅がありました。この飛鳥井家の祖先は、成道と同じ時代に『無双達者』と称された蹴鞠の名人・刑部卿藤原頼輔で、その孫にあたる飛鳥井雅経と難波宗長が、それぞれ飛鳥井流と難波流という蹴鞠の流派を打ち立てて『蹴鞠道』を完成、蹴鞠を広めました。明治になり飛鳥井家は東京に移りましたが、邸宅跡には明治天皇の勅命により、崇徳天皇と淳仁天皇をお祀りする白峯神宮が創建され、精大明神も“鞠の神様、スポーツ全般の守護神”として、今も同じ地で厚く信仰されているのです。そのためサッカーに限らず、野球・バレーボール・バスケットボールなど多くの競技選手も参拝に訪れます。

受験生も絶対に落ちない?!合格祈願でも有名

また、白峯神宮は、蹴鞠が鞠を地面に落とさない、つまり落ちないということから、受験生にもご利益があるといわれています。スポーツだけでなく勉強にもご利益がある白峯神宮には、多くの受験生も参拝に訪れています。

サッカーをサムライブルー、野球をサムライジャパンと呼ぶなど、日本では正々堂々と戦うスポーツマンシップの精神を日本風にアレンジし武士道に例えることがあります。武士道とは、私利私欲を恥とする“名こそ惜しけれ”の精神です。司馬遼太郎は「武士という人間像は、日本人がうみだした多少奇形であるにしても、その結晶の見事さにおいて、人間の芸術品とまで言えるように思える」とまで述べていますが、武士は公のために尽くすこと、そして名誉と美学を何より重んじました。相手への思いやりと華麗さを競う蹴鞠は、この武士道精神を表す素晴らしい競技だと思います。

また境内には武道・弓術上達の神・源為義と為朝を祀る伴緒社(とものおしゃ)や、清少納言も絶賛した名水、飛鳥井の井戸もあります。また昭和30年に神事の際に炎の中に出現した龍神、白峯龍王命・紅峯姫王命・紫峯大龍王命を祀る潜龍社(せんりゅうしゃ)もあります。

白峯神宮へのアクセスはこちら

http://shiraminejingu.or.jp/
住所    :京都市上京区今出川通堀川東入る飛鳥井町261
問い合わせ :075-441-3810
※白峯神社の蹴鞠保存会では毎月2回日曜日に蹴鞠の稽古が行われています。

京都白峯神宮のご近所グルメ&観光スポット

京都旅行で白峯神宮を訪れた際に行っておきたいご近所グルメ、観光スポットをご紹介します♪

鶴屋吉信

代表銘菓・京観世や柚子餅をはじめとする京菓子の老舗。二階には菓遊茶屋(かゆうぢゃや)があり、熟練の職人が目の前で季節の生菓子をお作りします。職人との会話を楽しみながら、美味しい和菓子とお茶で上質なひとときが過ごせます。

http://www.turuya.co.jp/
住所   :京都府京都市上京区西船橋町340−1
問い合わせ:(075)441-0105

UCHU wagashi

選び抜いた素材と和三盆を使用し、ひとつひとつ丁寧に手作りされた落雁がいただけます。天然フルーツやココアやバニラ、ミント味やチャイなど、100年後に残る、新しい京菓子の文化を創造する和菓子屋です。

http://uchu-wagashi.jp/
住所   :京都市上京区寺町通丸太町上ル信富町307
問い合わせ:(075)754-8538

京都市考古資料館

ちょっとディープな京都の歴史に触れられます。和歌が書かれた土師器など、平安時代の京の都を思い起こさせる貴重な展示物が陳列されています。

http://www.kyoto-arc.or.jp/museum/
住所   :京都市上京区今出川大宮東入ル元伊佐町265番地の1
問い合わせ:(075)432-3245

サッカーに興味を持ったら、ルールを覚えて応援・観戦に行ってみよう♪

サッカー初心者女子でも楽しめる!W杯観戦や体験のポイント
http://spoit.me/posts/soccer_women_supporter

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